森の木々が揺れる。
 キュルキュルと音を鳴らしながら、いくつもの黒い歯車が飛び交う。
 島の異変は、確実に広まっていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 第7話 「咆哮!イッカクモン」
 
 
 
 
 
 
 
 
 なのは達は、林の中を歩いていた。
 だが、先程までの道のりとは違って、地面には草が生えていない。
 これまでの場所に比べて、今歩いている所は明らかに気温が低かったからである。
 
 
 「寒いよー…」
 「しおれそう~…」
 
 
 アリシアとパルモンが、体を震わせながら呟いた。
 
 
 「約2匹、やけに元気だけどな」
 
 
 苦笑いしながらそう言うクロノの視線は、元々水中での生活も可能なゴマモンと、ぬくぬくしたガルルモンの毛皮を被ったガブモンに向けられている。ゴマモンとガブモンはニコニコしながら歩いていた。
 
 
 「まぁ、でも寒いのも悪くないよね」
 
 
 空を見上げて歩くなのはが言った。
 
 
 「えぇ~!?」
 
 
 アリシア、パタモン、パルモンが声を揃えて異議を唱えた。
 
 
 「でも、どうして?」
 
 
 すずかが、寒いのも悪くないと言ったなのはに問う。
 なのはは、背後を振り向きながら、ウインクして答えた。
 
 
 
 「だって、雪が降ったら…………雪合戦できるんだよ!」
 「雪合戦!?」
 
 
 
 なのはの言葉を聞いたアリシアの表情が喜びに、パタモンとパルモンの表情が興味のそれに変わる。
 
 
 「何その“ゆきがっせん”って?」
 「さぁ~?」
 
 
 パルモンがパタモンに聞くが、デジモン達には人間の遊びに関する知識が無い。故に、パルモンもパタモンも興味津々だった。
 
 
 「雪合戦かぁ」
 「なんやそれ、食べもんかいな?」
 「違うよ。雪合戦っていうのはね、雪玉をぶつけ合う、遊びの一種だよ」
 「なんや………」
 
 
 雪合戦の説明を丁寧にするすずかの言葉を聞いて、残念そうな声を出すテントモン。彼は、なかなか食い意地をはっているデジモンのようだった。
 
 
 「久しぶりに勝負する?なのは」
 「負けないよー!」
 
 
 ライバル意識から、なのはとフェイトの次の勝負は雪合戦に決まったようだった。
 
 
 「わ、雪合戦とか生まれて初めてや!私もやる!やってみたい!」
 「私、かまくら作りたい!」
 
 
 車椅子生活であったが故に身体を動かす遊びが全般的に出来なかったはやてが目を輝かせた。
 アリシアも、先程まで漏らしていた寒さへの苦情をきれいさっぱり忘れている。
 
 
 「“かまくら”って作るの?」
 「あ~それは食べもんに違いあれへん!」
 「だから違うよ」
 
 
 パルモンの問いに自信満々に答えるテントモンだが、すずかが苦笑いしながらシンプルにツッコミを入れた。
 
 
 「気楽だな、みんな。雪が降ったら降ったで大変なこともあるんだが」
 「ははっ、クロノ君の言うことも一理あるなぁ」
 
 
 苦笑いしながらクロノが呟いた独り言に相槌を打ったのは、はやて。
 クロノは、向こうで談笑するなのは達を見つめながら、会話を続けた。
 
 
 「みんなの不安を煽るつもりは無いが、これ以上気温が下がれば、野宿だって難しくなるからね。寒冷地では食料の調達だって大変だろうし、可能性がある以上は誰か一人でも対策を考えておかないと。僕はみんなを守りたいし、一番年上だからな」
 「それに黒一点やしな?」
 「なっ……!はやて!!」
 
 
 茹であがったように顔を真っ赤にするクロノを見て、はやてはこらえきれずに笑い出した。はやてに笑われて、恥ずかしさから更に顔が赤くなるクロノ。
 
 
 「あははっ、そない顔赤くすることないやんかー。でもクロノ君」
 「な、なんだ?」
 「一人で抱え込むんは、なしやからな?」
 「……あぁ、わかったよ」
 
 
 たった一言の釘をさされたクロノは、渋々頷いた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 森を抜けると、真っ白な広野が見えてきた。
 
 
 「…本当に、雪原に続いていたとはな」
 
 
 クロノが、ポツリと呟いた。
 真っ白な、どこまでも続く、雪原。太陽に照らされて銀色に輝く大地は、言葉を失うほどに美しかった。
 アリシアとパタモン、そしてパルモンは、雪の上をざくざくと走り回って大はしゃぎしている。
 
 
 「これから、どうするん?」
 
 
 はやてが誰に向けるでもなく呟いた問いに答えたのは、なのはだった。
 
 
 「とりあえず、先に進むかな。ここでじっとしててもしょうがないし…」
 「えっ!?この雪原を?」
 「そうだな。これ以上は無理なんじゃないか…?」
 
 
 フェイトとクロノがその意見に難色を示した。それもそうかも、と思いながらもなのはは問い返す。
 
 
 「じゃあどうするの?前は雪原で後ろはあの山。どっちにしたって進むしかないんじゃないかな…?」
 「ん?ちょっと待って…」
 
 
 その時、唐突にアグモンが声を上げて、周囲の匂いを嗅ぎ始めた。
 
 
 「なんか変な匂いがする…」
 「…そういえばくさいわ」
 「なんだろうこれ?」
 
 
 アグモンと同じように匂いを嗅ぎ始めたピヨモンとガブモンが同意しながら言う。
 
 
 「これって、もしかして…」
 「あっ!なのはちゃん、あれ!」
 
 
 心当たりがあるのか、なのはも匂いを嗅ぎながら呟く。
 すずかが周囲をキョロキョロと見渡し、匂いの元を探ると、驚きの声を上げた。
 
 
 
 
 どちらかと言うと高くそびえ立つ山に近い木々の間から、煙が高く立ち昇っている。
 
 
 
 
 「煙が出てる!」
 「そうだ、この匂いは…!」
 
 
 
 ピヨモンとフェイトの言葉を聞いて何の匂いか思い出したクロノが、言った。
 
 
 
 「……温泉だ!!」
 「……温泉!?」
 
 
 
 温泉、という言葉に敏感に反応したアリシアが、ピタッと追いかけっこを止め、喜びの表情を浮かべて叫ぶ。
 なのは達は、期待を胸に、煙の元へと向かった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 「…これ、沸騰してる……?」
 
 なのはが、唖然とした表情で呟いた。
 温泉だと思っていた目の前の液体は、文字通り沸騰していた。しかも、紫色という、毒々しく禍々しい色に染まっている。とても、温泉には見えなかった。
 
 
 「これに浸かるんかいな…」
 「まさか……」
 
 
 流石のデジモンも沸騰した湯に浸かることはしないのか、テントモンが若干ひいた声で言った。すずかが、苦笑いしながらテントモンに答えた。
 
 
 「これじゃあお風呂として入るのは無理ね…」
 「でも、あったかいわ」
 
 
 アリサが少し残念そうな声で言ったからか、パルモンがフォローを入れる。
 
 
 「とりあえず、寒さはしのげるよね」
 
 
 フェイトもパルモンに同意した。
 
 
 「ふむ…じゃあ、次は食糧だな。寒冷地みたいだから数は少ないだろうが…」
 「あるよー?」
 
 
 クロノが食料調達に関して考えていると、アリシアが笑顔で言った。
 
 
 「…ここは岩場だからほとんど無いと思うが…どこに?」
 「ほら!」
 
 
 笑顔のアリシアにつられて、彼女の指差す方向に目を向けるクロノ。
 その視線の先で、あり得ないものを見た。
 
 
 「なっ、馬鹿な…これは、現実か?」
 「なになにー?あっ!すごい、どうしてかわからないけどラッキーだよ!」
 「ひ、非常識だ……!」
 
 
 気になってひょっこりと顔を覗かせたなのはも、驚きと喜びを混ぜ合わせた声をあげた。
 
 
 
 
 「なんでこんな所に冷蔵庫があるんだ!!」
 
 
 
 
 クロノが言うように、アリシアが指差す先の岩場に、一般家庭に置いてありそうな冷蔵庫が鎮座していた。
 
  
 「何が入っているのかな?」
 「そういう問題じゃないだろ!?」
 「とりあえず、開けてみるんはどうかな?」
 「だーかーらー!」
 「私はゼリーとかが入ってたら嬉しいわね」
 「アリサ、ゼリーって何?」
 
 
 フェイトやはやての発言にクロノのツッコミが入るが、誰も聞く耳を持たない。
 
 
 「よし、開けちゃおう!!」
 
 
 なのはのその一言を合図に、アグモンが冷蔵庫の扉を開けた。
 その中には―――
 
 
 
 
 
 「わぁ……!!」
 「卵だぁ~!!」
 
 
 
 
 
 ――――何十個もの卵が、綺麗に並べられていた。
 
 
 
 
 
 「今日の夕食は、これで決まりだね!」
 「た、食べれるよな…?」
 「毒味だったら私がやるよ、安心して!」
 「い、いやそれは僕がやるよ!」
 「誰かのものやとしても、まぁ事情を話せばわかってくれるやろうし」
 「なにしろ、非常事態だからね」
 「夕食はこれで決まりや!」
 「……わかったよ。食べよう」
 
 
 その日の夕食は卵料理に決まった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 太陽が傾き始めた夕方になると、なのは達は夕食の準備に取り掛かった。
 アグモンとガブモンが木を削って薪や皿を作り、その薪を使って、はやてが岩盤の上で卵を割る。はやての傍ではピヨモンが、自慢の羽を使って火をおこす団扇の役目を果たしていた。
 アリシアとパタモンは、沸騰している湯に卵を入れて、茹で卵を作った。
 他の皆も、積極的に自分の仕事を探しながら夕食作りに励んだ。
 
 
 出来たのは、目玉焼きに卵焼き、そして茹で卵。
 久々の立派な夕食に、なのは達の表情に自然と笑顔が浮かんだ。
 
 
 「いっただっきまーす!!」
 
 
 皆が声を揃えて夕食を食べる。
 
 
 「うん、おいしい!こんなまともなご飯って久しぶりだよ!」
 「これで、白いご飯でもあれば言うことなしだね、なのは」
 「ほかほかごはんにゆでたまごー!」
 「うーん、ええなぁ」
 
 
 はやてとなのはが監督した卵料理は絶品だった。
 自分の手料理を褒めてもらう経験があまり無かった二人は、照れながらも料理に手を伸ばす。
 
 
 「なんだぁクロノ、食べないのか?」
 「ん、あぁ、食べるよ。大丈夫だ」
 
 
 ふとその隣で、ゴマモンがクロノに話しかけた。
 クロノは、自分の胸の内が表情に出てしまっていたことに気付くと、慌ててごまかそうとした。
 だが、人の気持ちに敏感ななのは達がそれを見逃すわけが無い。
 
 
 「どうしたのクロノ君?なんだか元気ないよ?」
 「え、あ、いや…思えば、こっちに来てから4日かなと考えてな…」
 
 
 迫ってくるなのはに降参し、正直に白状した後で、クロノは嘘をつくべきだったと後悔した。
 皆の顔が、一気に暗くなったからである。
 
 
 「心配されてるかな、私たち…」
 「もう4日も経ってるのねぇ…考えてみれば」
 
 
 すずかとアリサも思考に耽っていく。
 自身も困った表情を浮かべていたはやてが、パッと笑顔に切り替えて、空気を変えようと唐突に話題を変えた。
 
 
 「…なぁみんな。目玉焼きには何をかけて食べる?」
 「塩と胡椒だな」
 
 
 最初に答えたのは、はやての想いをすぐに察知したクロノ。
 
 
 「私、醤油」
 「マヨネーズ」
 「ポン酢を少し、かな」
 「………すずかちゃん、今、何て?」
 「変なのー」
 「ポン酢、かぁ…今度試してみようかな」
 
 
 続いてなのは、フェイト、すずかが順番に答えた。
 フェイトがマヨネーズを使うことに内心で驚いたなのはだったが、それ以上に、すずかがポン酢を使っていることの方が耳を疑う内容だった。
 なのはの隣に座るフェイトは、家に帰ったら目玉焼きにポン酢をかけてみようと考えた。
 
 
 
 「えー、みんな変よ!やっぱり、目玉焼きって言えば砂糖よね!あたしその上に納豆かけるのも好きよ!」
 
 
 
 すると、皆の意見を黙って聞いていたアリサが、すずか以上の爆弾発言をした。
 
 
 
 「砂糖、なぁ……」
 (アリサちゃん、目玉焼きだけは変な味覚になるんよなぁ…)
 「それ変すぎだよー!」
 
 
 はやてが苦笑いしながら呟き、アリシアが全力でアリサの意見を否定した。
 
 
 (母さんと一緒だ…甘党なのか?)
 
 
 クロノは、緑茶に砂糖とミルクを入れる自分の母を思い出し、アリサも甘党なのかと結論付けた。
 
 
 「しかし、みんな目玉焼きにそんなものをかけるのか…日本文化は実に奥が深くて面白いな」
 「あ、クロノもそう思った?」
 「二人して何わけわかんないこと言ってんだよ~」
 
 
 ミッドチルダ出身のクロノとフェイトに、ゴマモンが突っ込みを入れる。
 
 
 「そうそう!全部が全部日本文化じゃないよ!」
 「特にアリサちゃんの言うとる“目玉焼き納豆”はな!」
 「ちょっとはやて!それどういう意味よ!!」
 
 
 アリサがはやての発言に反応するが、今回ばかりは誰も否定できない。
 
 
 「…じゃあ世間一般的に見たらどうなるんだ?塩胡椒が一般的なのか?」
 「あー…どうなんやろ。醤油と良い勝負なんかな」
 「やれやれ…シオコショウ以外にも色々あるんだろ?クロノは融通が利かないなぁ」
 「な、なんだと!」
 「だってそうだろー?どうでもいいことで悩むし」
 「僕のどこが融通利かないって言うんだ!」
 「ほ~らまたぁ!」
 「揚げ足を取るなっ!」
 「なんだよやるかぁ~?ほれっ。ほれほれほれほれっ」
 
 
 クロノが珍しくムキになって、ゴマモンに言い返した。
 仕舞いには、ゴマモンが小さな手を素早く動かして、小さな連続パンチを構えている。
 
 
 「はぁ~…また始まった」
 「クロノ、落ち着いて?今日はなんだか変だよ。疲れてるんじゃ…」
 ピヨモンが、苦笑いするはやての隣でやれやれとため息をついた。
 その間にも、フェイトがクロノを止めた。
 
 
 「……いいや、大丈夫だ。すまないな、フェイト」
 
 
 冷静になりきれなかった自分を内心で責めながら、クロノはフェイトに謝った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 「でも、だからこそ…!」
 「駄目だよ。危険すぎる」
 「考えていたってしょうがないよ?」
 「もう少し、待ってみようよ。なのは」
 
 夕食からしばらく経って、クロノが皆の所に戻ってくると、皆の中心で向かい合っているなのはとフェイトが見えた。
 
 
 「…どうしたんだ、なのはとフェイトは?」
 「ムゲンマウンテンに、行くかどうかで…」
 「ムゲンマウンテン…?」
 「あの大きな山のことや」
 
 
 クロノの疑問に答えたのは、すずかとテントモンだった。
 はやてが、さらに捕捉する。
 
 
 「なのはちゃんは、あそこに行けば全体を見渡せるって言っててな」
 「確かに、あのくらい高い山なら、全体が見渡せる…」
 「でも、フェイトちゃんは危険やからって、反対しとるんや。もう少し状況が飲みこめるまで待ってもいいんじゃないかってな」
 
 
 はやての要約を聞いて状況が把握できたクロノはなるほど、と呟いた。
 
 
 「あの山には、凶暴なデジモンがたくさんいるのよ」
 「ふむ、それは危険だな…」
 
 
 ピヨモンの一言からも、フェイトの心配していることが的外れでないことはわかる。
 
 
 「いつまでも逃げ腰でいるのも良くないんじゃないかな…」
 「でも、なのははすぐ無茶しちゃいそうだから…地道に、安全に行った方がいいと思うんだけどな」
 「すぐに無茶するのはフェイトちゃんだよ?」
 「いやなのはだって……!」
 
 
 クロノは、二人を見てきたこの4日間を思い返す限り、なのはもフェイトもよく無茶をする傾向にあると考えていたので、内心でポツリとどっちもどっちだな、と思った。
 
 
 ――――二人とも、相手のことばかり考えていて、自分を見ていない。
 

 

 クロノには、そう見えた。
 
 
 「…あっ!クロノ君、おかえり!」
 「そうだ…クロノはどう思う?」
 
 
 突然矛先が自分に向けられたので、クロノは驚いた。
 クロノは考える。
 
 
 ――――確かに、あそこに登ってみれば、今後の指針になるはずだ。
 
 ――――だが、みんなを危険に晒してまで、あの山に登る意味があるのか。
 
 
 
 「行けるところまで、行ってみない?」
 「でも今からは無理だよ?」
 
 
 クロノが黙ってしまう間にも、なのはとフェイトの話し合いは続く。
 フェイトの一言を聞いて、ピヨモンが手短に意見を述べた。
 
 
 「そうよ。今日のところはもう遅いし」
 「もう寝る時間だよ~」
 「続きはまた明日にしようよ」
 
 
 アグモンとガブモンもピヨモンの言葉に続いた。
 
 
 「他のみんなも疲れたやろうしな。さっ、もう寝よ寝よ」
 
 
 はやてがなのはとフェイトの背を押しながら、率先して就寝を促した。
 皆も眠ろうと、洞窟へと向かっていく。
 
 ふと立ち止まったゴマモンが背後を振り返り、クロノを見上げた。
 
 
 
 
 
 
 場の空気をうまく扱うはやての背を見つめるクロノの顔は、とても複雑な表情だった。