心当たりは大いにあった。
昨日私を庇って体中水浸しになってしまっていたし、
最近ネウロイの出現が多かったようだったし、
疲れていることも薄々わかっていた。
でも正直に言ってしまうと、驚いた。
―――大丈夫と言い張る貴方が、いつもと違って見えたから。
任務中の夜空を見上げながら、サーニャは早く帰ろうと思った。
貴方が見える日
(エイラ、ちゃんと休んでるかな…)
夜間哨戒の任務が終わり、眠気と闘うサーニャは自室の扉の前に立っていた。
時刻は、もう数刻も経てば、夜明け。
普段ならばこのままエイラのベッドにダイブするサーニャだが、今日はそうもいかなかった。
うまく働いてくれない頭で、エイラが寝込んでいるから今日はちゃんと上のベッドに上らないと、とめったに使わなくなった梯子のことを考えたり、エイラの為にしっかりと新しい氷枕を準備していた。
早く治るといいな、とサーニャは思った。
部屋の中に入ってすぐに、サーニャはエイラの、あー…という、気だるげな声を聴いた。
どうやらエイラは、サーニャが部屋に入ったことには気付かなかったようだった。
(もしかして、まだ起きてるのかな…?)
そういえば、と頭の中で過去を振り返るサーニャが最後に風邪をひいたのは随分前のことになる。まだ、魔力の扱いも未熟だった頃の話だ。
サーニャの固有魔法は全方位広域探査。
だから、熱にうなされた日には、魔力が上手く制御出来なくて。
「見たくもないのに見たんだよなぁ、未来」
エイラの抑揚の無い独特の声には、今日に限って、少しの寂しさがブレンドされていた。
そして、その言葉は奇しくも、サーニャの心の声と和音を組んで響いた。
聴きたくないものまで頭の中に入ってくる感覚――サーニャはその感覚を今でもはっきりと覚えている。忘れることができないくらい気分が悪くなったが故の、幼き日の記憶。
自分が寝込んでいる間も戦っている魔女達の撃墜される瞬間。
破壊されていく街の風景。
酷い時は、魔女同士の切羽詰まったやり取りすら、音となって聴こえてきた。
けれども自分は、ただ聴くことしかできなくて。
所詮未熟な小娘の魔法にすぎないから、その状況を助ける力なんて持っていなくて。
――とても恐いと思った。
――とても悲しいと思った。
―――――とても、悔しいと思った。
その気持ちを包み隠さずエイラに言えたのは、彼女なら何も言わずに最後まで聴いてくれるという彼女の優しさと、彼女への過度な依存のせいだろう。
あの時は何も言っていなかったが、ひょっとするとエイラにも過去に似たような経験があったのかもしれない――とサーニャが考えていると、今度は暗闇の向こうから、うー…という小さな声が聴こえてきた。うなされているのかと思ったサーニャは少し焦ったが、先程言葉を発していたからそれはないはずだった。
(暗くて顔がよく見えないけど、きっと、今日なら聞ける)
今日のエイラは、芳佳に「今日は一日安静にしていてください!絶対ですよ!」と問答無用で寝かされた後からずっと、なんとなくそわそわしているように見えた。
どうしたのかとサーニャが聞いても、エイラはただ、大丈夫だとか、ナンテコトナイッテなどと答えるばかりだった。
―――――じゃあどうして。
あの時そんな寂しそうな顔したの、と不安だけが重い頭を引っ掻きまわす。
つまるところ、サーニャはエイラのあの表情を見たくなかった。
「エイラ…?もしかして、起きてるの……?」
声をかけようと思い立ってからどれぐらいの時間が経っていただろう。
サーニャは暗闇の中で目を慣らしながら、エイラが自分の声に反応したのを感じ取った。
エイラはまだ熱があるだろうし、夜間哨戒帰りのサーニャにしてみれば、会話できるほど回復しているかもわからない。
それでもサーニャの問い掛けには、すぐに返事が返ってきた。
サーニャが大好きな人の、声。
「サー、ニャ……?」
顔の上に乗せていた腕をどかして、エイラがゆっくりと、うっすらと瞼を開く。
サーニャを見つめてくる顔の火照ったエイラは、いつものエイラとは全く違う気がした。
その顔は、どこか遠くへ行ってしまいそうな、切なくて辛そうな表情で。
月が明るい。
いつもの飄々とした障壁も無い。
―――――今日は、貴方を真っすぐ見つめられる日だと確信した。
「だめよ…熱、まだ下がってないんだから…寝なきゃ」
サーニャがそう言いながら、いかにも辛そうなエイラの額に手を当てる。夜間哨戒帰りの、ひんやりとした手が気持ちよかったのか、エイラがスッと目を細めた。
「哨戒…終わったのカ」
「うん、ネウロイとも遭遇しなかった」
エイラが、ホッと息をつく。
サーニャは、エイラの様子がいつもと違うことを確信して、ここぞとばかりに一気に問いかけた。
「…エイラ、なんだか変。眠れてなかったみたいだし、どうしたの…?」
そう言いながらも、氷枕取りかえようか、とサーニャはエイラに尋ねた。
するとエイラは、その問いに答えず、サーニャのひんやりした手を、音も無く握ってきた。
どうしたの、などと聞くまでもないことを、今のサーニャはわかっていた。
「良カッタ…。任務中、なんにも無くて………なんにも、見なくて」
「………エイラ…?」
「こう…体調がおかしい時ってな、妙に、勘が冴えるんダ。…嫌でも見えちゃうからナー」
「……未来予知、のこと?」
「そうそう。ネウロイが見えた時なんか、」
エイラが一瞬、そこまで言って言葉を切った。
そうか、彼女にも。
「誰かが傷付けられるんじゃないかって、とても不安になる」
不安になることだって、あったんだ。
今日はつまり、普段は絶対見せてくれない本音が見える日だったから。
「………大丈夫」
エイラの氷枕を取りかえたサーニャは、制服を着たままエイラの隣に寝転がった。
隣で、エイラが弱々しい声で「…風邪うつるゾ」と言うが、サーニャは聞こえないふりをした。
さっきのエイラでは、ここにいてくれと言っているようなものだ。
「エイラはいつも、たくさんの人たちを守ってる。大切なものを守ってる。………私を、守ってくれてる」
エイラの頭を優しく撫でながら、サーニャは言う。
隣にいる今日のエイラは、いつもの頼もしい彼女とは違って、まるで悪夢を怖がる子供のようで。
とても、愛おしく思えた。
「だから、今夜ぐらい………私に、守らせて」
安心したのかエイラは、そのまま、静かに、ゆっくりと目を閉じた。
そしてそう時間も経たずに、寝息が聴こえてきた。
―――――良い夢が、見れるといいね。
今日は、ありのままの貴方を見ることができた、特別な日。
だからサーニャもそのまま、翌朝元気になったエイラが混乱することも知らないで、愛しい人を抱いて夢の中へと溶け込んでいった。