私の視線の先には。
いつだって、貴女の背中があった。
ランタンよりも明く、紅く
「はやてさーん、残業だけはナシですからねっ。せっかくのハロウィンなんですから」
私ことヴィヴィオは、先程から、はやてさんの仕事が片付くのを待っている。
私の中では、はやてさんがいつ、しっかりとした休息を取っているのかが七不思議のひとつになっているのだが、当の本人はそんなこと想像もしていないだろうと思う。
だって、
「あー、うん。そういえばもう11月も目の前なんやったっけ…」
彼女にとってはそれが普通、みたいだから。
宙に浮くキーボードを叩きながら間延びした声を出すはやてさんの姿は明らかにオーバーワークの域だと、私は思うのだけれど。
「八神家の皆さんも待ってますよー。“トリックorトリート!”って」
「ん。ヴィータやリイン、アギトあたりはまず間違いなく言ってくるやろうな」
相槌が、こちらを向いてくれない。
勿論、はやてさんがこういう会話にあまり聞き入ってくれないのは重々承知している。だから今日私は、ちょっとした変化球を用意した。日常の教訓を生かしての、はやてさんを振り向かせるような要素を持った、変化球。
…まぁ、なのはママとフェイトママのアドバイス、なんだけど。
「はやてさん知ってます?ハロウィンは、2000年以上前の古代宗教が起源なんですよ?」
はやてちゃんは小さい頃から読書家で、物知りだったから、雑学の話とか結構反応するんだよ――昨日なのはママがそう言っていた通り、今私の目の前にいるはやてさんは「ほぅ…」と小さな声で呟いていた。顔は画面に食いついたままだが、先程までとは明らかに反応が違う。歳が結構離れてる私でもわかった。
「古代ヨーロッパのケルト人は、今の11月1日を新年が始まる日として祝っていたんだそうです。“サウィン祭”と呼ばれたその祭の前の夜には、死後の世界へと旅立つ霊が地上をさまよい歩くと考えられていたんですよ。妖精や悪霊も含めて」
「じゃあ、日本で言うお盆なんやね。今日は」
「今日は前夜祭にあたりますけど、きっとそんな感じですね」
「前夜祭が2日もあるんなら、クリスマスが12月頭から1カ月続くのもなんとなく納得がいくな」
どうやら、いくら博識なはやてさんでも、このことは知らなかったらしい。ちょっと意外だった。
私は、言葉を続ける。
「でも、ハロウィンの場合は、日本のお盆とちょっと違うんですよ」
「…どのへんが?」
「ハロウィンの時は、他にも魔物がやってくるんです。魔物に魂を取られたくないから、昔の人は魔物の格好をしてそれを防ごうとした。それが、ハロウィンで仮装をする由来なんです」
「…魔物、ね」と、遠くを見やった、いつの間にか作業が片付いて仕事が終わっているはやてさんが呟く。
その言葉の意がうまく汲めないのは、やはり私がまだまだ子供だからなのだろうか。
「だとしたら、私はもう遅いかもしれんなぁ」
「…何が、ですか?」
「んー、いやな…」
そこまで言われてしまうと気になるのに、はやてさんは曖昧に言葉を切って顔をそらした。
聞き出す粘り強さはなのはママ譲りの私だ。問い詰めないわけがなかった。気になりますよ、とはやてさんを質問攻めにする。
「ほ、ほら、私今仮装してないやろ。せやから…」
「だーかーらー?」
「…………こういう台詞言うの私らしくないんやけどなぁ」
「え?はやてさん、今なんて…」
私が言いきる前に、はやてさんはバッと私の手を引いて、身体ごと引き寄せた。はやてさんの顔が近い。とても近い。しかも、
「私の魂は、とっくに魔物に奪われてると思うんやけど、どやろ?」
ニヤッとした顔でそんなことを言うものだから、私の顔はジャック・オゥ・ランタンよりも紅く染まる。
いつも追いかけている背中から一本取ろうとしたというのに、私はどうやら逆転負けをしたみたいだった。
「…ずるい。はやてさん」
「そりゃまー狸ですから。ところでじゃあヴィヴィオ、ジャック・オゥ・ランタンの話は知っとるか?」
「カボチャに顔があって、明かりを灯しているやつですよね?」
「そっ。あれはアイルランドっていう国の伝説が元になってる話なんやけど、ジャックっていう男はな、一度、悪魔を騙してあの世行きを回避した人なんや。亡くなった後、生前の悪事のせいで天国には行けず、悪魔とのそのやりとりがあって地獄にも行けず。明かりを灯したカボチャを持たされて、罪を償うためにあの世とこの世を行き来して、罪を償うために暗い道をさまよい続けている。そういうおはなしなんよ」
あんな愛嬌のあるカボチャに、そんな話があったなんて、と私は大きなショックを受けた。
やっぱりはやてさんは、物知りだ。
「…随分と、怖い話、だったんですね」
「私が今日までハロウィンの歴史を知らなかったのは、この話のせいやもん」
「…………え?」
「歳が2桁にもならん女の子に、この話はきつすぎたわー」
つまり、はやてさんはこの話を知ってハロウィンが怖くなったから、敢えて触れてこなかったと。
意外と、今でも怖がりなのかな、と私は思った。もしそうなら、
「…どっちが年上か、わかんなくなっちゃいそうですねっ」
「むー。失礼やなぁーヴィヴィオー」
いつも、貴女の背中を追いかけてきたけれど。
「でも、いいじゃないですか!」
「へっ?」
貴女が誰かに弱みを見せるくらいなら、
「せっかくゲットした魂は、やっぱり魔物が自分で守らないといけないですしね!」
私が、迷える南瓜を持って道を照らそう。
「…ふふっ、言うようになったなぁ。それじゃ、帰り道のエスコート、お願いしよかな」
私よりも少し大きな、貴女の手を取って、
「はい、喜んで」
いつまでも、ずっと前を歩きながら。