「サーニャ!夜間哨戒お疲れなんダナ!」
「エイラ……うん、ただいま」
 
 
夜間哨戒を終えて基地に戻ってきたサーニャを迎えたのは、珍しく起きているエイラだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
      左右非対称
 
 
 
 
 
 
 
 
「…なぁ、サーニャ」
「ん…どうしたの?エイラ」
 
 
みんなが寝静まっている宵の刻、収納されるフリーガーハマーを眺めていたエイラが、サーニャに声をかけた。サーニャは振り返ってエイラを見るが、エイラの視線は未だにフリーガーハマーに向けられている。月に照らされているとはいえ真夜中だったので、エイラの表情はよく見えなかった。
エイラが再びサーニャに声をかける。
 
 
「フリーガーハマーって、重いカ?」
「…うん。最初は重かったけど、今はだいじょうぶ」
「そっか。じゃあ重いってことなんダナ」
「えっ?そんなこと……」
 
 
そんなことない、と答えようとしたサーニャの声を抑えるような形で、エイラはスッと立ち上がった。そして、サーニャに向かって歩を進める。
ゆっくりと、ゆっくりと。エイラの一歩一歩が、いつもの軽快さとは違っていて、違和感を感じた。違和感を感じたところで避けるわけにはいかなかったから、サーニャはとりあえずエイラに問いかけずにはいられなかった。
 
 
「エ、エイラ…?」
「ちょっとじっとして。すぐ終わるかんナー」
 
 
サーニャはすぐに気付いた。おかしい。エイラの様子が、いつもと違う。
それでも、サーニャは動けなかった。妙だとは思っていても、普段のエイラなら絶対にあり得ないようなことが起こったのだから。
 
 
エイラの白い手がそっと、サーニャの右肩に触れた。
そのまま、サーニャの右肩を優しく握った。
 
 
ひゃっ、とサーニャはつい小さく声を上げてしまったのだが、今のエイラは聞く耳すら持っていないようだった。
 
 
「…やっぱり。フリーガーハマー持ってる分だけ、右肩の方が張ってる」
「いきなりどうしたの、エイラ…?」
「よくないゾ。たまにはほぐしてやらないと」
「え、ちょっとエイ……やんっ」
 
 
エイラは独り言を呟くように、サーニャに語りかける。
サーニャはエイラの言葉に答えようとするが、肩を揉まれていることもあって、うまくしゃべれなくなっていた。自分の顔が、耳が、体が、火照っているのを自覚していた。
それでもなんとかして振り返るサーニャは、エイラの表情を窺った。先程は見えなかった、エイラの想いを汲み取るために。
そんなサーニャが、目にしたのは。
 
 
「……エイラ、もしかして寝ぼけてる?」
「え?別に…そんなことない、ケド…」
 
 
うつらうつらとした、今にも寝こけてしまいそうな、それでいていつもより凛々しいエイラの顔だった。
予想だにしなかった、もしかしたら初めてみるかもしれないエイラの表情に、サーニャは言葉を失った。エイラは、どうした?なんて尋ねながらもサーニャの両肩を休みなく揉み続けている。
もはやサーニャにも、今何が起こっているのかよくわからなくなっていた。
ただ、エイラの肩揉みがとても気持ちよくて、いつもの睡魔が徐々に近付いてきていることは察していた。
ここで自分が寝てしまうのは、エイラがどう動くかもわからないし、色々とまずい気がする。
そう判断したサーニャは、眠気と闘う頭を必死に回転させながら、エイラに話しかけた。
 
 
「ねぇ、エイラ。……続きは、部屋に戻ってからやりましょう?」
 
 
火照った顔をしたサーニャは、スッとエイラの手を引いて部屋へと誘う。
いつものエイラならそれで真っ赤になるのに、その宵のエイラはフッと音も無く微笑んだのだった。
 
 
「あぁ、制服着替えないと風邪引くもんナ」
「うん…」
「終わったら肩揉んでやるから」
「うん…ありがとう、エイラ」
「ナンテコトナイッテ」
 
 
 エイラの言葉は、どれもいつも通りだった。ただ、ただ、声音が、表情が別人だった。
 今にも眠ってしまいそうな、それでいて穏やかで、静かで、でも凛としていて――サーニャは、眠気を誘うエイラに負けないように、幸せな、それでいて不思議な気分で、ハンガーを出た。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「あー、なんだか変な夢を見たんダナー…」
 
 
翌日。
昼間に目を覚ましたエイラは、ボリボリと頭をかきながら起き上がるなり、そう呟いた。
 
 
「大体私がサーニャのか…か、か、肩なんて触れるわけないダロー!」
 
 
内容を反芻して、思わず顔を真っ赤にしたエイラが誰に向けるでもなく叫ぶ。エイラの声は、他に人がいない部屋に虚しく響いただけだった。
ここで初めてエイラは、サーニャが見当たらないことに気付いた。昨日は夜間哨戒だったはずだから、今頃は寝ている時間帯のはずなのに、とエイラは部屋を見回した。どんなに探してもサーニャがいない。いつも脱ぎ捨ててある制服も無い。
ナンデカナ、なんて思いながらも、エイラはとりあえず着替えて部屋を出た。
そこで、風呂上がりのサーニャとばったり出くわした。
 
 
「あ」
「………あっ」
 
 
生乾きな髪を揺らすサーニャを見たエイラは、いつものように顔を真っ赤にした。
ところが今日は、真っ赤になったエイラを見たサーニャも顔を火照らせた。
 
 
「お、おはよ。サーニャ」
「…………うん」
 
 
サーニャが顔を赤らめたことに驚きつつも、エイラはサーニャに挨拶をした。対するサーニャは顔を俯かせて、一言小さく呟くと、そそくさと部屋に戻ってしまった。
サーニャと入れ違いで廊下に出たエイラは、サーニャの挙動を疑問に思って首をかしげた。すると、バルクホルンに叩き起こされて転がるようにして廊下に顔を出したハルトマンと目が合った。
その途端、ハルトマンがニヤッと笑い、寝間着姿のままエイラに向かってきた。
 
 
「おそよう~、エイラ」
「それはお互い様ダロー。ナンダヨモー、ニヤニヤ笑ってさぁー」
「いやいや、何言ってるのさぁ~」
 
 
悪戯っぽい表情を浮かべているハルトマンを見下ろすエイラ。こういう時のハルトマンに関しては、誰だって、嫌な予感しかしない。エイラにとってもまた、そうだった
早くバルクホルン大尉が飛んでこないかな、でも起きてすぐにあの大声は嫌ダナ、と段々頭の中の独り言が多くなってきた頃に。
ハルトマンが、爆弾を投下した。
 
 
 
「ね、エイラ。さーにゃんの細くて可憐な肩の触り心地はどうだった?」
 
 
 
ハルトマンがエイラの耳元でそう囁くと、廊下の奥からやっと、バルクホルンの怒鳴り声が聞こえてきた。
トゥルーデが来たから私逃げなきゃー、なんて朗らかに言いながら、エイラの隣を横切って、ハルトマンはさっさと廊下を走り去っていく。その後すぐに、バルクホルンがエイラの隣を横切っていった。
 
 
 
一方のエイラは、その場に立ちつくしていた。ハルトマンが囁いた言葉を、ゆっくりと、何回も、反芻する。
 
 
 
サーニャの肩は触っていない。いや、触ったけどそれは違う。触っていない。まだ誰にも話していない。というかあんなの言えるわけがない。じゃあどうして中尉は知っていた?
 
 
 
 
「…………え、あれ?」
 
 
 
 
その日、事あるごとにエイラから目をそらすサーニャの姿があったそうだ。