その日、ちょっと遅い時間帯だけど、ただいまと言ってきた彼女は、傷だらけだった。

 

      キズナ

 

 実際には、治療も既に施されているようだった。ただ、ガーゼだとか、絆創膏だとか、そういうものも含めて、痛々しいことに変わりはなかった。
 それなのに、彼女は、何食わぬ顔で、それどころかいつもの笑顔で、ただいま、なんて言うものだから、私は言葉を失った。私だけじゃない、八神家のみんなも、完全に硬直した。
 
「……その傷、どうしたの。はやて」
 
 おかえりはないん、とソファに鞄を放り投げた後、はやてはニコニコと私の顔を下から覗き込んだ。いち早く冷静になったシグナムが、戸惑いながらも、おかえりなさいと告げる。
 
「なんともないんよ! あーおなかすいたわぁ。御飯にしよかー!」
 
 疑問は多く残りつつも、みんな頷いて食卓についた。
 定時に帰ってくるよと言ってた彼女は、確かに宣言通りに帰宅したのだから、特に何かあったわけではないだろうと思う。
 では何故、こうもやたらと傷を作ってきたのだろう。
 
「……ん。今日の味付けはシグナムとみた!」
「すごい! なんでわかったんだ?」
「フェイトちゃんやザフィーラが作る時よりもなんとなくな、まっすぐな味付けやから! ……んー、こっちのコロッケもうまいなー」
「あ、それ。フェイトと一緒にあたしが作ったんだ」
「リインも手伝ったですー!」
「おぉ、そうかぁ」
 
 食卓の雰囲気はいつも通り。はやての身に特に何か良くないことが起こったわけではないと察したヴィータやリインは、すぐにいつも通り楽しく会話を弾ませた。
 
「……ねぇ、シグナム」
「なんだ、シャマル」
 
 ヴィータやリインがはやてと晩御飯の話をして盛り上がっているタイミングで、私の隣に座っていたシグナムが、立ちあがったシャマルに話しかけた。
 
「はやてちゃん、本当に何か良いことがあったのかしら」
「あの顔で主が言われておられるのだ。ならばそうなのだろう」
「教えてくれないのはちょっと納得がいけないけど……」
「ふふ。そうだな」
 
 シグナムが私に目線を投げてきた。あとは頼んだぞ、と言うアイコンタクト。でもその眼は笑っていた。だから私も黙って笑顔で頷いた。
 
 
 
 
 
 夕食後にはやてと一緒にお風呂に入った私は、はやての背中を洗ってあげていた。服を着ていた時は気付かなかったけど、服に隠れて見えないところも小さな傷がいくつも見られた。もう痛みを感じるほどの傷ではないらしいってはやては言ってたけれども、それでも私は丁寧に洗っていった。
 
「なにかいいことあったの?」
「あった!」
 
 今日のことを尋ねれば即答で返ってくる。それはもう満面の笑みで、すごく嬉しそうに。
 いつもより、目の前に居る君を子供っぽく可愛く愛しく感じるのは、今日が特別な日だからなのかな、とも思ったり。
 
「怪我もしたのに?」
「それはええんや!」
「……名誉の負傷?」
「そっ!」
 
 背中を流して、洗いっこして、一緒に湯船に浸かる。えへへ、と振り返ったはやてが、浴室の明かりが湯気に反射したせいか、いつも以上に眩しく感じられた。
 
「今日な、緊急で任務入ったんよ」
「うん」
「人命救助のお仕事でな、最初は広域魔法で外から支援してたんやけど、それでも人手が足りなくなってな」
「うん」
「それでな、建物の中に魔導士さん達が入っていってな」
「うん」
「小さい子を、助けたんよ。私」
 
 はやての顔が、優しくなって、ちょっと大人の顔になった。いつもの、はやての顔。
 
「私が魔法を使えるようになった歳くらいの、小さな子やった」
 
 
 
 
 
 風が、吹き荒れる。
 冷たく、おまけにちょっと痛い風が、ひしひしと。
 
「建物の崩壊?」
「あぁ。人為的なものではなかったから、まだ中に人が残っている。とりあえず、広域魔法で全体を支援してもらえないか」
「りょーかいですー」
 
 緊急で招集されたのであろう別の部隊からやってきた人が、私に指示を出した。
 それ地球では“地震”って言うんやで、と私は内心で呟きながら、傾いたビルを見下ろした。
 今までに何度も、テレビの向こうでよく見た光景だった。ビルが崩壊したり、コンクリートが割れていたり。見る度に、とても胸が痛くなった。そんな光景。
 でも今は、テレビの中の映像でしかなかったそれが、直接目に訴えかけてきていた。とても生々しくて、それ以上に、何かしたいって、強く思った。
 
「まだ中に人がいるのか!?」
「みたいです。人手が足りません!」
「幸いランクの高い魔導士が多く集まっている。本格的に人命救助に移るぞ!」
「了解!」
 
 すぐさま移り変わっていく救助態勢に目が回りそうになる。こんなにも忙しいのかと驚きそうになったけど、人命が関わっているのだった。当然のことで、驚く必要は無かった。
 
「……お前も行ってこい、八神」
「え、でも」
「人一倍チビなお前がやらなきゃいけないことだってあるはずだろ。いいからさっさと行け」
「……チビは余計です」
「じゃあ、たぬき」
「昨日の授業で先生言ってましたよ! 接続詞はちゃんと使いなさいってな!」
 
 ゲンヤさんのよくわからない後押しを受けて、私は外周からの広域魔法を自動発現に設定して、 ぎゅん、と風を受けながら素早く建物の中に突入した。
 小柄な私なりにできること、自分にできること、今やらなきゃいけないこと。
 
「……ん」
 
 5つ目の角を曲がった時に視界の隅に何かが映った。背中の黒翼を動かしてブレーキをかける。物陰に隠れたものを視認した。
 
「……ひとりでよぉ頑張ったなぁ」
 
 小さな子だった。
 昔の自分に似た顔ではないけれど、それでも重なった。
 たぶん、今日が特別な日だったから、余計に。
 
「もう大丈夫だからなぁ。怖かったなー」
「ううん……魔法使いさんがなんとかしてくれる、って、思ってた」
「それは嬉しいなぁ。私ももっと頑張」
 
 その子を抱き上げた瞬間、身体が、がくんと大きく揺れたのがわかった。早く建物から出ないといけない。私はその子をしっかり抱きながら、翼を広げて、来た道をぐんぐんと戻っていく。
 フェイトちゃんみたいに綺麗に素早くは飛べないから、ちょっと乱暴に飛んだ。飛んできた瓦礫は全部、自分にぶつかった。助ける女の子は、しっかり守ろうって決めていた。傷一つけさせるものか、と。
 私は、がむしゃらに。
 
「もう、ちょい……!」
 
 最後に一枚の割れた窓をくぐって、建物を抜け出した。
 よかった。私は大きく息をついた。
 
「ね、おねーさん」
「うん?」
 
 腕の中の小さい子が、私に声をかけてくる。肩で息をしていた私は、吐き出す息と一緒に、その呼びかけに返事をした。
 
「わたしもいつか、おねーさんみたいなまほうつかいになれるかな!」
 
 
 
 
 
 
「そのとき作ったのが、今日の傷な」
 
 どや、名誉の負傷やで!と笑いかけてきたはやてはまた、ちょっと昔のはやてに戻った。今日は特にきらきらしている。魔法に憧れていた頃のはやてもこんな感じだったのかな。見てみたかったな、と私は、楽しい無い物ねだりを繰り返した。
 
「私のやってることがな、どこかの誰かのコンパスになってるんかなって思ったんよ」
 
 はやてが私を見つけながら言った。私は頷いた。
 
「それって、なんだか、幸せなことだと思わんかな?」
 
 必要とされていることがどんなに幸せなことか、というのは、私もそれなりにとてもよく知っているつもりだ。だから、大きくうなずいた。そうだね、と。
 
「いきなりボロボロで帰ってきたから何事かと思ったけど、そういうことなら、今日は許してあげるよ」
「わーい。許されたわー」
 
 でもちょっと悔しくなっちゃったな。
 
「他の人のためにはやてが作った(しるし)を、私が残さないのも、どうかと思われちゃうよね」
 
 だから。
 
「私にもつけさせてよね、それ」
 
 え、と驚くはやてに抱きつく。教えてあげない。教えてあげない。
 
 
 
 
 
 
 
 さっきはやてが言った“傷な”という言葉が、“絆”に空耳してしまったなんて。
 
 絶対に絶対に、教えてやらないんだから。