そのときの私達は小学3年生だったので、あのとき言われた通り、たぶん、難しかったんだと思います。
きっと明日は
誉められたら嬉しい。みんなと一緒だったら楽しい。お手伝いをすると気持ちが良い。
その一方で、怒られたら悲しいし、ひどいことを言われたら怒るし、寂しくなったら泣きそうになる。それは、今の私達でもあの頃の私達でも、誰にでもわかることで、感じ取ってその気持ちを理解することは比較的簡単なことだったと思います。
だけど、小学3年生の2学期の――おんぷちゃんがまだMAHO堂に出入りしていなかった――どれみちゃんとあいちゃんと3人でMAHO堂に通っていた頃の私達にはそれでも、わかっていなかったことが、わからなかったことがまだまだたくさんあったんです。
今思えば、そう、例えば。
「そ、そんなにムキにならなくたっていいじゃん!」
「ドあほう! そんな言い方するやつがあるかい!」
いつものようにMAHO堂でお店番をやっていて、どれみちゃんとあいちゃんが喧嘩したときのことでした。喧嘩の理由はもうあまりよく覚えていないけれど、たぶん、どれみちゃんが自分の不幸として零した愚痴が家族に関する話になったこととかが発端だったんじゃないかなと思います。あいちゃんが本当に怒る時は、いつも誰かのためだったり、自分が納得できないことを聞いたときだったりしたから。それは今でも変わりません。
どれみちゃんがうっかりひどいことを言っちゃって、それを注意したあいちゃんについ口ごたえをしちゃったことに対してあいちゃんが怒り出しちゃって、どれみちゃんがあいちゃんの勢いに気圧されちゃって、その一連のやり取りを私は二人を交互に見ながらオロオロするだけだったのだと思います。こういう場面は割とよくあったから、きっとその時も、そこまでは同じだったのでしょう。
でも、その日は確かに、いつもと違ったんです。
「親をそないぶっきらぼうに言ったらあかんねんて! 少なくとも今のだけは聞き捨てならへんのや! あたしは!」
「あいちゃんの話じゃないじゃん! そこまで首突っ込まなくても……」
「あたしには関係ないとか言わさへんで!」
「関係なくなかったとしても……あいちゃんに何が分かるのさ! あたしの家とあいちゃんの家は違うんだよ!」
きっとどれみちゃんは、どれみちゃんも私もあいちゃんもみんな、育ってきた環境が違うから見てきたものも違うんだって言いたかったんだと思います。だからこそ、どれみちゃんがこうだと思うことがあいちゃんと違っていることもあるんじゃないか、と。ただ最後に言い切った後のどれみちゃんは、つい勢いに任せて言葉に出してしまった、あるいは、またやってしまった、というような表情をしていました。
ハナちゃんを育てていた頃に私がどれみちゃんと大喧嘩をしてしまった時は、私がこの段階で泣き出してしまってMAHO堂を飛び出したから、その後さらに少し話がこじれちゃったけど、今思えば、複雑そうに見えてもそんなことはなかったんです。喧嘩の理由も仲直りのポイントもとても単純で、どれみちゃんは自分の失言を反省していたし、私もすぐに泣いてその場から逃げ出してしまったことを反省していました。
話を戻しましょう。言い合いの末のどれみちゃんの発言を受けて、あいちゃんはハッとした顔をしました。きっと、どれみちゃんと口論になった時の私も似たような顔をしていたんだと、今だったら簡単に想像できちゃいます。
そのあいちゃんの表情を見て、あっと、声にならなかった言葉を零したどれみちゃんは。
「……ごめん」
小さく、弱々しく、謝りました。呟くような声だったけれど、確かに気持ちのこもった、ごめんという言葉。
私はどれみちゃんの謝った顔を見ました。声音だけでもどれみちゃんの気持ちが伝わってきたのだけれど、実際にどれみちゃんの表情を見てさらに胸が痛くなったことをよく覚えています。それからその時の私はどれみちゃんから目を背けるようにして、あいちゃんを見ました。あいちゃんは、一瞬目を見開いてから、苦虫を噛み潰したような表情で少し俯いていて、最終的にはどれみちゃんから視線を外してしまいました。
「……なんや、それ」
普段なら気にも留めないくらいの少しの間を置いて、あいちゃんは、どれみちゃん以上に小さく力のない声で、ポツリと零しました。
「もう、ええわ。マジョリカごめん、あたし先帰る」
あいちゃんはそう言うと、どれみちゃんとも、私とも目を合わせないでさっさとランドセルを背負い、MAHO堂を飛び出していってしまいました。あいちゃんがマジョリカとララの目の前を横切る際に、ララが悲しそうにあいちゃんの名前をそっと呼んだのは、いまだに鮮明に思い出すことができます。マジョリカは何も言わずに、ただあいちゃんが出ていった扉をずっと見つめていました。
あいちゃんが出ていった後はみんなの雰囲気が暗かったこともあって、その日は早めにお店を閉めることになりました。いつもより早く上がれることになったのにも関わらず、案の定私とどれみちゃんはなかなか家に帰る気になれず、夕日に照らされたMAHO堂の中に居残っていました。いつもは3人で魔法グッズを作っていた、あのテーブルで。
本当はあいちゃんを追いかけたかったのだけれど、その時の私には勇気がありませんでした。きっと、その時のどれみちゃんも、いつもは勇気があってどんどん前に進むようなどれみちゃんでも、勇気がなかったんだと思います。謝ったのにさらに怒ったあいちゃん。あれはきっと、初めて見たあいちゃんだったから。
謝って怒ったのがあいちゃんだったから、というわけでもありませんでした。
「……言い過ぎたのはわかってるんだよ」
私の正面に座っていたどれみちゃんが机に突っ伏しながら言いました。くぐもった声が、静まりかえったMAHO堂に小さく響いてた気がします。
「ひどいこと言っちゃった……反省もしてる。だから謝ったんだよ?」
「うん、どれみちゃんの“ごめん”の気持ちは私にもちゃんと伝わったわ。それはあいちゃんもわかってると思うの」
「じゃあ、あいちゃんはどうして怒ったんだろう……」
組んだ両腕の中からゆっくりと顔を上げたどれみちゃんが、先程からずっと頭によぎっている疑問を口にしました。私は、どれみちゃんのその問いに答えることが出来ませんでした。無意識に下を向く目線。再び重い沈黙が下りてきました。辺りにはなんとなく、淀んでいて噛み切れない空気。
そのときのどれみちゃんと私が飛び出していったあいちゃんを追いかけられなかったのは、そこに理由がありました。
ひどいことを言ってしまったから反省した。だから、謝った。気持ちのこもった“ごめんね”が伝わらないなんてこと、常に相手の気持ちを考えているいつものあいちゃんだったらあり得ない。そして、何よりも。あいちゃんは絶対に、理由も無く怒り出すような人じゃないのです。今も、あの頃も。
だから、そのときの私達には、もっとわからなかったんです。あいちゃんは、どうして怒ったのだろうかと。
「……わからない」
「うーん……」
「いくら考えても、全然わからないぃー……」
唸りながらまた突っ伏したどれみちゃんの頭から湯気が沸きました。落ち込んでいるけれどそこにやっといつものどれみちゃんを垣間見た気がした私は、少しだけ笑うことが出来ました。顔に浮かんだのは、苦笑いだったけれど。
すぐ傍で、ドドとレレの心配そうな視線が私達に向いているのを感じながら、私とどれみちゃんは再度悶々と考え込み続けました。でもいくら考えても、答えが出てこなかった。
「どれみ、はづきちゃん」
すると私達を静かに見つめていたララが心配そうな表情で目の前に飛んできて、声を掛けてくれました。
そのときの私はすかさず、ララに尋ねてみることにしました。疑問は、的確な質問にして。
「……ねぇ、ララ。ララは、どうしてあいちゃんが怒ったのか、もうわかってるの?」
「そ、そうなの……?」
私の質問を受けて、どれみちゃんも再び顔を上げてテーブルから身を乗り出してきました。
対するララは、ちょっと困ったような、考え込んだような表情をして、うーん、と唸りました。そのララの仕草を見て、どれみちゃんが少しじれったさそうにしました。
「確証があるわけじゃないんだけど、あいちゃんは多分……ううん、なんて言えばいいのかしら」
どれみちゃんがなんでもいいから教えてと懇願しているのを横目に、その時のララは真っ直ぐ、マジョリカに視線を投げました。それはきっと、どう説明すればいいかしらという相談を乗せた、視線でした。
テーブルの少し向こうから私達を遠めに見ていたマジョリカは一度目を閉じながら、緑色の眉間に皺を寄せました。それからゆっくりと目を開いて、こう言ったのです。
「どれみはそもそも、あいこに何を謝ったんじゃ? まずそこから考えてみろ」
「何をって……あたしがお父さんとお母さんの話をしたらあいちゃんが怒って、そこまで怒らなくてもいいじゃんってあたしが言って……」
「あいちゃんが“納得いかんわ!”って言い張ったから……」
「……あたしが、あいちゃんに何が分かるんだ、って、言っちゃった」
「だから、どれみちゃんは謝ったのよね」
「…………うん」
どれみちゃんの想いを確かめるように私が合間に言葉をはさみながら、私達はマジョリカの問いかけに丁寧に答えました。目の前のどれみちゃんは自分の発言を顧みながら、どんどん声音が沈んでいきました。けれどマジョリカは、私達の話をただ黙って静かに聞いていました。
「……だからなんだっていうのさ!」
「わしに八つ当たりするんじゃない!」
どんどん頭の中のもやもやが大きくなったどれみちゃんが我慢の限界だというように声を荒げましたが、マジョリカはそれには動じず、冷静にどれみちゃんを一喝しました。マジョリカのその一言は、とても迫力があって、私も体が一瞬動けなくなったような気がしました。どれみちゃんも、大きく一回、ビクッと震えていました。
「どれみが謝ったときのあいこがどんな気持ちになったのか。わしにはなんとなく、想像がつく」
マジョリカは、さっきどれみちゃんを怒鳴った時とはうってかわって、今までに聞いたことの無いくらい優しい声で、ゆっくりと言いました。
「その気持ちは、今のお前達には、そしてあいこ自身にも、理解することは、難しすぎるのじゃ。もちろん、どういうものなのか、説明することもな」
「……でもそれじゃあ、あたし、あいちゃんと仲直りできないよ」
「まぁ、そうかもしれないからの、否定はせん。じゃがな、どれみ、はづき。お前達ならもしかしたら、いま言葉にすることが難しくても、あいこの気持ちをわかってやれるかもしれぬ」
マジョリカの言葉を聞いたどれみちゃんが、えっ、と少し驚いた表情を浮かべました。私もどれみちゃんに続いて、どういうことなのかとマジョリカに尋ねました。マジョリカは、いつも以上に丁寧に答えてくれました。
「どれみが謝ったときにあいこが感じた気持ちはな、今のお前達にうまく説明はできんが、これからお前達が出会う色んな人間と関わったときに、様々な場面で、誰もが感じるであろうものなんじゃよ。そしてそれは、色々な場面で感じる気持ちだからの、一言では簡単に言い表せないものじゃ。
しかしな、あいこのことをちゃんと考えられるお前達なら、なんとなくでも理解できるじゃろうとわしは思っておる。……いや、お前達なら、きっとわかる。言葉にしづらくても、なんとなく気付けるはずじゃ」
真剣な、けれど優しい目で語るマジョリカの隣で、ララもうんうんと頷いていました。マジョリカが私とどれみちゃんをここまで優しく諭してくれたのは、前にも後にも、このときが最初で最後だったような気がします。
「……ヒントを、ひとつやろうかの」
「ヒント?」
私とどれみちゃんは揃って首をかしげました。ふと脇を見れば、ドドとレレも首をかしげていて、やはり妖精達にもわからないようでした。
マジョリカは脇目もふらずに、どれみちゃんに視線を投げてこう問いました。
「どれみ。お前の家族に対する発言や、お前が“怒らなくてもいいじゃないか”とあいこに言い返したとき、あいこは何故怒ったと思うかの?」
「……あのときのあいちゃん、たとえ家族でも言っていいことと悪いことがあるって言った。それからそれから、自分には関係無いって言われて怒ったんだ。……と、思う」
「ふむ。その上でどれみは、あいこに何がわかるんだ、どれみの家とあいこの家は環境が違うんだぞと言い放ったんじゃったな」
「うん……」
「どれみはその後にすぐ、あの発言に関して、謝ったのじゃ。もしも自分達があいこだったら、どれみ、はづき。お前達はどう感じるかの?」
「……あっ!」
マジョリカの最後の問いかけに、私とどれみちゃんは同時にハッと顔を上げました。言葉に出来ないけれど、そのときのあいちゃんのことを考えたら、確かに感じたのです、ちょっと胸をつっつくような、何かを。
どれみちゃんも私と同じだったようで、私を見つめてくるその目はさっきまでとは全然違っていて、こちらまで元気が沸いてきそうな、むしろきらきらしているぐらいの、とにかく光を見つけたような目でした。顔には、少しだけ苦笑いを含んだ、満面の笑み。私もつられて、ちょっとの苦笑いをブレンドした笑顔になったのを感じました。
次にどれみちゃんは、窓の外の景色に目を向けました。夕日はまだ落ちていなくて、それを確認したどれみちゃんは、もっと笑みが深くなりました。ここまでくれば、いつものどれみちゃんです。
「ありがとうマジョリカ! あたし、あいちゃんのところに行ってくる!」
「どれみちゃん!? あいちゃんがどこにいるかわかるの!?」
「なんとなく! きっと、あたしがあいちゃんと初めてたこ焼きを食べたあの河川敷だよ! 違ってたとしても探す! ぜったい今日中にあいちゃんに会ってくるんだから! 会って謝ってくるよ!」
「待って! 私も行くわ! マジョリカ、アドバイスとても参考になったわありがとう!」
「また明日ねマジョリカ! ありがとう!」
ランドセルを背負って扉の前で急かすどれみちゃんに追いつくように私も大急ぎでランドセルを背負いました。扉の前で飛び跳ねているどれみちゃんも、振り返った先のマジョリカとララも、もちろん私も、みんなが笑顔に戻っていました。
「行こう、はづきちゃん!」
「うん!」
言葉にしての説明はできないけれど答えを見つけた私とどれみちゃんは、MAHO堂の扉を勢い良く開け放って夕暮れ色に染まった外へと飛び出しました。
早くあいちゃんも笑顔にしないとね、あいちゃんのあの笑顔が見たい、と心を躍らせながら。
今日ちゃんと向き合って話をすれば、きっと、明日は。