「まだ何か引っかかってるのね」
青空が見える、教室の中。
アリサの一言に、なのは、フェイト、すずかの三人が頷いた。
四人の視線の先には、一番窓側の席で、外を眺める少女が一人。
「はやてちゃんがあんなに上の空になってるのって、初めてだよね」
そう言うすずか達四人は、ここ数日のうちに発言が激減したはやての事を心配していた。
相変わらず、笑顔で話すことは話すのだが、最近は表情が硬い。
今、空を見上げるはやてが何を考えているのかはなのは達にはわからない。
だが、はやてがこうなったきっかけには心当たりがあった。
涙の数だけ
「はい、八神です。……はい、そうですけど。……えっ?」
おそらくきっかけは、あの一本の電話だったのだろう。
その日は、はやての家で久しぶりに親友五人が揃った日で、皆で楽しく世間話やら勉強会やらをしていた。
電話が鳴ったのは、はやての家の縁側が夕日に紅く照らされ始めた頃だった。
「…わかりました。今晩か明日の朝にはそちらに向かいます。えと…うちの子たちは、ザフィーラ以外みんな任務がありますので、私とリインフォース、ザフィーラで向かうことになると思います」
はやて以外の四人は、はやての声がいつもよりも暗いと思い、何事かとその様子を遠目に見守っていたが、はやての最後の一言でなんとなく誰からの電話かを察知した。
「では、後程イギリスで」
電話が来たその日のうちに日本を出たはやてが再び学校に姿を現したのは、それから四日後のことだった。
久々に見るはやての目の周りは、少し赤くなっていた。
なのは達がやんわりと、何があったのかを聞くと、はやては、寂しそうな笑顔で一言、答えた。
「おじさんとな、最期のお別れをしてきたんよ」
それっきり、はやてはそのことについて口にしなかった。
「基本的に、私達五人の間には、余程のことが無い限り隠し事はなしよ。というか、あんなのはやてらしくないじゃない」
休み時間中もボーッとしているはやてを見ながら、アリサが言った。
「うん、アリサの言うことは尤もだと思うな。はやて、いつも肝心なこと、黙って何も教えてくれないから、心配だよ」
アリサの発言に、フェイトが同意した。
「無理に、とは言わないけど…」
「いつもおはなし聞いてもらってるから、たまには聞かせてもらわないとね。はやてちゃんのおはなし」
無理強いはしたくないが心配だ、と言うすずかを励ますように、なのははが、笑顔で宣言した。
結果から言えば、はやてが折れた。
アリサに迫真の勢いで問われ、
フェイトに心配そうで困った表情をされ、
なのはが満面の笑みで「おはなし聞かせてほしいの」と迫り、
最後にすずかが優しく「無理には話さなくていいからね」と説得されると、
はやてはようやく、ここ数日の自分の想いを口にした。
「人の死って、慣れるもんなんやろうか」
それは問いだった。
予想だにしていなかった重く、深い問いに、四人は思わず息をのんだ。
そんな親友達の表情を見て、まぁ当然の反応やね、とはやては苦笑いしながら続けた。
「あの電話な、リーゼアリアさんからの電話でな……来てほしいって言われたんよ。“父様、もう時間がないから来てほしい”…ってな」
四人は目を見開いた。
「だからな、私、あの日のうちにイギリスまで行ってきたんよ」
リインフォースⅡとザフィーラを連れてイギリスに飛んできたはやては、待ち合わせていたアリア、ロッテと話をしながらグレアム邸に向かっていた。
「え!?使い魔さんの契約期限って、主の命の期限と一緒なんですか!?」
「そ。魔力の供給が無くなるからね。だから悪いんだけど、後のことはクロノとはやてに任せることになっちゃうかな…」
リインの問いに答えながら、ロッテは、はやてに視線を向けた。
「それは構いませんけど…むしろ、私で良いんですか?」
「コラ、謙遜しないの。はやてだから頼んでるのよ」
少しおどおどしながら見上げてくるはやての頭を撫でながら、ロッテはニッと笑った。
「失礼します。お久しぶりです、グレアムおじさん」
ノックをして、はやては一人でグレアムの部屋に入った。
「ああ。よく来てくれたね、はやて君」
グレアムはベッドに横になったまま、笑みを浮かべて挨拶を返した。
以前から体調が優れない日が続いていた、とは聞いていたはやてだが、ここまでだとは思っていなかった。
ベッドに横たわる姿は、いつかの、死を覚悟していた自分の姿を想起させるもので。
その、何かを悟ったような穏やかな表情が、ふと、あの雪の日に見た優しい顔と、
――――重なって、見えた気がした。
「…すみません。シグナムとヴィータ、シャマルは丁度任務が被ってて。終わらせたらすぐに飛んでくる言うてました」
「そうか。しかし、その気持ちだけでも、私は十分に幸せだよ」
来るとわかりきっている死を前にするとここまで心が落ち着くものなのか、とはやては内心でとても驚いていた。
少なくとも自分は、闇の書事件の時は、じわじわと迫りくる死にとても恐怖を覚えたものであるのだが。
「はやて君」
突然、グレアムがはやてに声をかけた。
「はい、何でしょうか?」
「私が言える立場ではないのだが、」
グレアムは言いながら、左手ではやての顔にそっと触れた。
「君はこれから先、生きることを、もっと楽しむべきだ」
「…………え?」
グレアムは、突然の言葉の意味がいまいち理解できないはやてを見て、穏やかに笑い、言の葉を繋げた。
「君は今までに、たくさんの死を見てきてしまったのだろう。両親の死、管理局の同僚の死、祝福の風の死…他にもたくさんあっただろう。管理局に務める以上、指揮官として皆を引っ張っていく以上、あってほしくない話だが、君はこれからも多くの死と向き合うことになるだろう。けれども、忘れないでほしい」
グレアムははやてを真正面から見つめた。その目は、笑ってはいない。
指揮官として名をはせていた頃の眼差しで、はやてを見つめていた。
けれども、その身に纏う雰囲気は、孫を見守るような温かなものだった。
「死は、生き物全ての終着点であるが、それを受け入れるまでには多くの枷が存在する。若くしてその枷に挑む必要は無いのだよ」
それは、何十年も生きてきた彼だからこそ認識できた真理。
はやてとグレアムでは、生きてきた時間の長さに差がありすぎた。
ただ、それだけの話。
「つらいことばかりに目がいきそうになるだろうが、死に急いではいけない。生き急ぐのもよくない。何度、死と向かい合うことになったとしても、生き続けることを忘れないでくれ」
その真理が、願いが、グレアムの最期の教えだった。
「お、じさっ……!」
はやての頬を、涙が伝う。
だめだ。
今度こそ笑顔で送ろうと思っていたのに。
また、泣いているじゃないか。
「グレアム、おじさんっ……!」
我慢できなくなって、はやてはグレアムに抱きついた。
胸に飛び込んできたはやての頭を優しく撫でながら、グレアムははやてを見つめていた。
それは、本当の家族のような光景だった。
「おじさん…ぐすっ……い、今までッ、ありが、とう……ござい、ましたッ……!」
涙に遮られながら、はやては感謝の言葉を紡いだ。
両親の姿をおぼろげに思い出す。
彼女が還った雪の日を思い出す。
嗚呼、いつもこうだった。
大切な人との別れは、まだ、慣れない。
「私も、ヴォルケンリッターのみんなもッ、今の、生活があるのはッ、おじさんの…えぐっ…おかげ、やからッ……!」
この期に及んでもまだ、伝えたいことがたくさんあった。
手紙に書ききれなかった話や、近況の話。
それなのに、残された時間は、僅かなもので。
「闇の、書がきっかけで…とか、おじさんは……ぐすっ……話してくれたことあったけど、」
まだ、いかないでほしい。
「私はッ…あなたにッ、会えて、よかったと、思ってますッ………!!」
はやての言葉を静かに聞いていたグレアムが、そっと、はやての名を呼んだ。
はやては涙に濡れた顔を上げて、グレアムを見た。
グレアムが穏やかに笑って、本当に、最期の言葉を紡いだ。
「初代『祝福の風』とともに、見守っているよ」
背後の扉が、静かに開かれた。
はやては、もう冷たくなったグレアムの手を握ったまま、その場を動かず、振り返りもしなかった。
だが、誰が来たのかはわかっていた。
『………主』
「うん、わかっとる。……リイン、おいで」
ザフィーラが、念話を使ってはやての名を呼んだ。
それだけでザフィーラの意を汲み取った夜天の主は、末妹の名前を、優しく呼んだ。
「はや…て、ちゃっ……!」
リインが泣きながら、はやてに抱きついてきた。はやての服を、ギュッと握り、肩を震わせる。
はやてにはわかっていた。
グレアムがはやてと二人きりで話したいと頼んでから、リインとザフィーラを、リーゼアリアとリーゼロッテの傍にいるように言ったのは他でもない、はやてだったのだから。
『リーゼアリアとリーゼロッテもまた、最期まで素敵な笑顔でした』
『…うん、そっか』
はやての胸元でわんわん泣いているリインを見つめながら、ザフィーラははやてに念話を繋ぐ。
はやては、リインをそっと抱きしめながら、静かに目を閉じた。
「時空管理局歴戦の勇士」と呼ばれたギル・グレアムの顔は、とても綺麗で、安らかなものだった。